数年前に行ったきりで、何年も「行きたい!」と思っていた寄居北条まつりにやっと行く事ができました(*^。^*)
当日朝、急遽娘を預ける事ができたので 身軽で大学時代からの友人達と一緒に寄居に向かいました♪
川越から電車でちょうど1時間・・でもしゃべりながら行ったのであっという間だった!!!
着いたらもう武者行列のパレードの途中でした。
ちびっ子忍者隊がとても可愛かった(*^。^*)(背中におもちゃの剣を背負って、結構勇ましく歩いてました♪)
その後 攻防戦を見るために荒川の川原へ。
いい位置で見るために、もう人がかなり集まってました。
パレードが終わって待っている武者さん達の中に、本家小田原の旗が!!
そして攻防戦が開始!私達は郵便局隊(笑)の後ろから見る事ができました♪(割といい位置(^^♪)
向こう岸(鉢形城跡の崖下)は北条方、こちら側は豊臣方で、攻防戦開始直後北条の兵が船でこちら側へ渡ってきて、戦が始まりました。
大砲が打ち込まれたり(もちろん殺傷能力は無いけど・・)、矢が飛んでたり、1対1の対決で川の中に入って好演してたりと結構迫力ある場面がありました。ただ、戦闘に参加しない武士達は座ってるだけだったのでちょっとかなしい^_^;
ラストは鉢形城開城のシーンで、向こう岸から船に乗って、北条氏邦公と子供の東国丸、正龍寺の和尚がやってきました。
(あれ??東国丸はこの年よりも7年前に亡くなってなかったっけ??)
比較的近い所で氏邦公(役)も見られて嬉しいまま帰途に着くことができました♪♪
そうそう、寄居駅まで行く途中で「氏邦」のお酒も購入しました♪去年の6月に寄居に行った時にも買ったけど、ほとんど旦那に飲まれてしまったので、今回は私が飲むために購入♪♪ラベルも北条まつり限定用になってました(*^。^*)
この日付き合ってくれたとらぞうちゃん、なおすけちゃん、ありがとうね(^_-)-☆今度は新宿の戦国ダイニングに行こうね~\(^o^)/
最後になっちゃいましたが、今回のお祭りの攻防戦の内容は・・というと簡単に言うと・・戦国時代に北条という関東(現静岡の1部、神奈川、東京、埼玉、千葉・茨城・栃木・群馬の1部)を治めてた戦国大名がいて、1590年天下統一目前にした豊臣秀吉に立ちはだかったのは この関東の北条と奥州の伊達だけでした。で、豊臣秀吉は天下統一をするために小田原攻めをしたのでした。(まぁ間にいろいろあったけど、とぉ~っても長くなるので手短に^_^;)ちなみに伊達は豊臣方についてしまった(-_-;)
この寄居にあった鉢形城は北条家の支城で四代北条氏政公の弟の氏邦公が治めてました。鉢形城ももちろん豊臣軍(前田利家軍、上杉景勝軍)の攻撃にあいましたが、豊臣方が2万に対して鉢形方が3500人にもかかわらず1ヶ月も落城しなかったので、秀吉が業を煮やしてさらに3万の援軍を送り、5万対3500での戦闘となりました。
氏邦公は豊臣方の最後の総攻撃の2日後、これ以上の城兵の犠牲者を出さないために出家・降伏し、鉢形城を開城しました。ここまでがお祭りの攻防戦の内容です。
その後氏邦公は前田利家のお預けとなり、金沢で客将として9人の家臣とともに何不自由のない生活を送り、7年後に亡くなったという事です。何故利家は敵将を厚く遇したのかはよくわかってないのですが、氏邦公のお人柄かしら??(*^。^*)
戦国時代は北条初代の早雲公から始まって、小田原合戦によって秀吉が天下統一をしたので、北条で始まり北条で終わったと言ってもいいですね。
戦国時代は親兄弟の争いも珍しくなかったですが(織田も武田も今川も大友も伊達も・・)、北条はそれが全くなかった珍しい戦国大名だったので、戦国時代において五代も続いたし 領土もあんなに大きく出来たのだと思います。なのに小田原合戦の「小田原評定」だけを取り上げられて 北条の価値を低められてるのは本当に残念(>_<)
三代氏康公の正室瑞渓院は「絶世の美女」と言われてた人だったそうなので、きっと氏康公の子供達は美形だったと私は信じてます(笑)(氏康公の肖像画も結構いい感じなんだけど♪)
関東地方や伊豆・沼津にいらっしゃるみなさま、一度お家近くにある城跡や城山公園などに行かれてみてください♪♪きっと北条氏の城跡だと思いますよ(*^。^*)
長々とすいません・・明日「風林火山展」で北条氏康公役の松井誠さんを見る予定で、GWの小田原五代北条まつりにも行く予定なので今私の頭の中は戦国時代(北条氏♪)一色になっています(*^。^*)
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